琵琶湖一周島巡り④日蓮宗巨大題目岩の多景島、、興味津々!

9月29日の午後、竹生島を出航して南へおよそ30分、、日蓮宗の巨大な題目岩が見えて来ました、、
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この島が、多景島(たけしま)、、竹がたくさん茂っていたので竹島とも呼ばれていましたが、見る角度によって様々な景色を見せるというところから、多景島という字が当てられたようです。

竹生島港を出航した直後の琵琶湖、、
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遠く東の方角に、伊吹山が見えます、、
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琵琶湖の地図では、よほど拡大しないとこの小さな島は見えません、、
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彦根港から西北西へ約6.5kmの所にあり、、もともとは竹以外草木もほとんど生えないような岩場の島でしたが、、
江戸時代に彦根の荒神山から土が運ばれ木が植えられたことで、現在のような趣のある島になったようです。

島の全体像は、、
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向かって左に、誓いの御柱、その下に、霊夢山見塔寺、、右に、巨大な題目岩とその下に、日蓮上人像、、
案内マップでは、、
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周囲約600mの小さな島ですが、、島全体が日蓮宗見塔寺の境内となっています。

所在地:彦根市八坂町、、
びわ湖観光船オーミマリンが、彦根港-多景島間を3月~11月まで1日1便運航、、
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滞在時間は30分、、行った船で帰ります、、
それ以外の方法は、琵琶湖めぐりの遊覧船でしか行けません。

下船する前に、船中でもらったパンフ、、
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このパンフに、興味深い記事がありました、、

「春秋のお彼岸の中日、多景島は太陽の通り道となる。
この日の太陽は、日蓮上人生誕の地・千葉小湊の沖から昇り、、霊峰富士山頂を通り、、日蓮宗の霊山・七面山の随身門を通り、、ここ多景島の題目岩を通り、、出雲大社の上を通り、、、釈迦の地・インドへと向かう。」

多景島の朝日と夕日、、見事でしょうね。


さて、そろそろ上陸です、、
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桟橋はとても狭く、見塔寺に登る山道は、なかなか険しいですね、、
振り返ると、、遥か下に船が、、
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景色が素晴らしい。

霊夢山の大きな額と、誓いの御柱の先が見えてきました、、
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見塔寺に到着、、
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HPより、、
明暦元年(1655年)に、琵琶湖に沈んだ人々と魚介類の供養の為に慈雲院日靖上人が開山した日蓮宗のお寺です。
日靖上人は、越前の国大野の出身で、長浜の妙法寺で修行中の明暦元年、夢のお告げでこの島に渡り、石の宝塔と庵室を建立されたそうです。
第3代彦根藩主の井伊 直澄は、法華経の信仰が篤く、彦根藩裏鬼門の祈願所としました。

ここで左に行くと、、(見上げれば、、)、、誓いの御柱、、
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大正13年(1924年)に建立され、島の一番高いところににあります。
五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれています。
当時、滋賀県の警察部長だった水上七郎氏の呼びかけで、約70余万人から寄付を受け、紛争などが絶えない時代を匤正すべく日本の中心地であるこの島に建立されました。

そして、右に行くと、、下は断崖絶壁、、
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琵琶湖のこの辺りは水深も深く、、色が綺麗ですね、、
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途中で行き違いができないような、狭い岩だらけの尾根道、、
日蓮上人の銅像が、、経典を手に、何か叫んでいます、、
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題目岩に到着、、ホンとに巨大ですね、、
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真下から見上げると、、「南無妙法蓮華経」の金字のお題目、、
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高さ約6間(10.8m)、幅約4間(7.2m)あり、元禄5年(1692年)に、命綱にぶら下がりながら三年の歳月をかけて日靖上人によって刻まれました。
題字は京都妙顕寺・勝光院日曜上人の筆で、一文字に米一俵が入ると言われています。
また、桜田門外の変での井伊大老暗殺の際に、鮮血をにじませたとも伝えられています。
直弼の死は人々とって、それほど悲しみに満ちた衝撃的な事件だったのでしょう。

14:40、、船は出港、多景島を後にします、、(波の向こうに)、、小さく見えています、、
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短い滞在時間ではありましたが、充実した内容に、、大満足のOTSKYONと奥様、、
皆様は、、多景島、不思議な島、、いかがでしたか?

お次は、、沖の白石、、湖面から突き出た4つの岩、、
船内より見学します。

それでは、今日のブログはこの辺でお終い、、ありがとうございました


最後に、いつもの備忘録、、(スルーしてね)、、

春の彼岸と秋の彼岸

毎年、春分の日と秋分の日のことを民間では「お彼岸(ひがん)」といい、お墓詣りをして先祖の霊を供養したりします。
春分の日、秋分の日は毎年だいたい3月20日頃、9月23日頃に来ます。
民間行事のお彼岸ではこの日をお彼岸の「中日(なかび、ちゅうにち)」といい、その前後一週間をお彼岸の期間として、最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」といいます。

彼岸とは(仏教説)

彼岸とはその名の通り「岸の向こう」、その向こう岸とは悟りの世界のことです。
サンスクリットではパーラミター(波羅蜜多)といいます。
様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、
日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、
と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、
まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、
というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。
お寺ではこの一週間法要を続けますし、また住職が檀家を回って各家庭でも法事を行います。
歴史的には大同元年に早良親王の霊を慰めるため行われたのが最初とされ、平安時代以降続いています。
春分・秋分の時期にこの彼岸法要を行うのは、太陽が阿弥陀如来の浄土の方角である真西に沈むためであるといわれています。
つまり阿弥陀浄土を観じるのに最適ですし、迷っている人にとっては太陽の方角が進むべき道ということになります。

彼岸とは(民俗説)

一方彼岸の語源は「日願」であるという説もあります。
これは古来からある太陽信仰の系統のものです。
太陽信仰の側からも春分・秋分は太陽が真東から出て真西に沈むとともに昼と夜の長さが同じということで、これは非常に重要な節目でした。
「日の願」ということばもあり、これから「日願」になったとも言われています。
「日天願」と呼ぶ地方もあるそうです。
一般にこういった日本の行事というものは仏教と民間信仰が様々にミックスされているものです。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、この時期が季節の変わり目になります。

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